2020.08.19
EDU FES北海道参加団体インタビュー 第2回 D-SCHOOL
1.藤澤さんのストーリー、生い立ちやD-SCHOOL立ち上げの背景を教えてください。
藤澤:生い立ちっていうと結構特殊だから興味ある人はいるかもね笑
金本:たしかに笑
元航空会社勤務で今はガラリと変わってプログラミングスクールを運営しているので特殊ですよね。
藤澤:大学の頃なんかもまちづくりや地域政策とか研究してたからね。
全くITとか関係ないことしてたからね笑
前職に限らず、上場会社とか社員が多い会社に入社すると、専門職とかじゃない限りは自分の希望する職種につけないんだよね。
当然、最初は飛行機に興味があって航空会社に入ったのだけど、最初の三年間は成田空港で飛行機のフライトプランとか作ってたし、そのあとは貨物の輸入輸出業務とか担当していたし、3〜5年くらいのスパンで人事異動とか勤務地が変わったりというのが珍しくなかったんだよね。
だから興味ある仕事にはなかなか就けないんだよね
金本:まぁよく言えばいろんなことやらせてもらえるとも言えますね。
藤澤:マルチプレイヤーになる人もいれば、この人は営業だなと判断されたらずっと営業になる人もいたね。
僕の場合は特殊で、常に前事例のないことをさせられてたんだよね。
金本:前事例のない仕事……ですか。
藤澤:基本的にみんな、マニュアル通りに仕事するよね。それ通りにできなかったら怒られるみたいな。
でも、マニュアルって人が作ったものだし、もっと効率のいい方法とかあるのになぁって思ったりもするじゃん。
金本:僕なんかは、保守的な考えなのでマニュアルがあった方が仕事やりやすいなぁって思ってるので、そういう革新的に仕事ができる人がすごいなあと思うんですよね。
藤澤:一般的にはそれが正しいんだよね笑
でも時代や社会の変化の中で、バブル崩壊やリーマンショックとか色々と不測の事態が起こった時にそれを乗り越えるためのアイデアだとか一歩踏み出す力がすごく大事になってきて。昔からそういうのが得意だったんだよね。
だからそういうタイミングになると僕に声がかかるような立ち位置だったんだよね。
航空会社って大きく分けて「旅客事業」「貨物事業」「マイレージ事業」の三つの事業部があって、25年間航空会社にいたんだけど僕ぐらいじゃないかな。全ての事業を渡り歩いたのって。
まず空港部門にいて、そのあと貨物事業→貨物営業もやったし。あと旅行セールスもやったし添乗員もやってた。
そのあとに行政団体に出向して洞爺湖サミットをはじめ、北海道の観光政策を担当してた。
その後、航空会社に復帰してからは、営業の販促企画や広報宣伝部を担当して、退職前はマイレージ事業部の責任者として東京の本社で働いてました。
だからもう文系理系とか関係ないんだよね笑
10年間転勤希望先にインドって書き続けてたけど一度もインド行けなかったわ笑
金本:笑笑
でもそれだけ全ての仕事してると辞めるってなった時、驚かれませんでしたか。
藤澤:結構みんなビックリしたと思う笑
25年勤めて、顔も広くなったし、本社の基幹部門の責任者だったし、務めていた航空会社もV字回復してすごく景気のいいタイミングでだからね。
人が辞めるのって大体大変な時に辞めていくんだけどもね。
大変な時こそアイデアだから、そこにやりがいを感じないと。
別に誰でもできることだったら僕じゃなくてもいいんだよね。
金本:好景気な時は誰が何してもうまくいきますもんね。
藤澤:ずっと辞めようと思ってたとかではないんだけど、辞めるんだったらこのタイミングかなって思ってやめたんだよね。
でマニュアル通りにやってうまくいくんだったら、誰がすごくて、誰がすごくないのかわかんなくなっちゃうよね。
僕はね、高校卒業時、当時受験した日本の大学全部落ちちゃって、少しの間、浪人生活したんだけど、結局モチベーションが上がらなくて、まあ挫折したんだよね。それで海外に出たいと思ってたんだよね。
だから語学留学を理由で海外の大学に2年間通ってたんだけど、
先生とか親の意見もあまり聞かずに大学とか決めた人だから。
最後は自分で決断したい人だったんだよね。
金本:僕なんかは逆に自分の決断ができない人だったんですよね。
だから社会にでても自分で決断できないままでした。
藤澤:失敗はたくさんしてきたんだよね。その都度もう次は同じ思いをしないぞって思って勉強もするし、
今振り返ると若い頃ってそれでいいと思ってるんだよね。
金本:年をとればとるほど失敗とかできなくなりますもんね。
藤澤:そうなんだよね。
知識じゃなくて経験を積まなきゃいけない。
小学校中学校高校時代の失敗の経験がとても大事なんだよね。
だからものをつくる経験とかやらせてみるんだけど、
必ず失敗するからね。
失敗しようと思ってするんじゃなくて、成功しようとして失敗しちゃうんだよね。
それは知識も経験もないからミスして当たり前。
そのトライアンドエラーを繰り返すことが、いかに自分の決断を決められるかの重要な経験値になっていくんだよね。
学校では詰め込み暗記型学習ばかりやってきて、あまりそういうプロジェクトがなさすぎるから、
その知識だけが先行して実践が伴わないので、それがどう形、実践につながっていくのかっていうのが求められているんだよね。
それを支える大人が大事なんだよね。
金本:その経験を積むことができる場として、D-SCHOOLなんですね。
2.今の事業を運営していく上で大事にしていることを教えてください。
藤澤:D-SCHOOLはテクノロジーとか、プログラミング教室とかよく言われるのだけど、プログラマ養成学校でもなくて、あくまで『新しい学校』と答えている
金本:プログラミングはあくまで手段であって目的ではないということですね。
藤澤:そうそう。
子ども達が、プログラミングを嫌いにならないでほしいなって思っていて。
好きになってもらいたいんだよね。
プログラミングの授業って先生がトップダウンで子どもに知識を詰め込む教育になると思っていて、それだとプログラミング嫌いになってしまう子どもとかも増えてくると思うんだよね。
人生百年時代、ITの能力とかプログラミングは必要になってくる。
発達段階の子どもがプログラミングを好きになってもらうようにしてて、
プログラミングって楽しいなぁって思ってもらうようにしてるんだよね。
一度飽きてもいいし、離れてもいい。それでもプログラミングに戻ってこられるようにしたい。
D-SCHOOLってのは社会の変化を起こす場所なんだよね。
社会の変化って芽が出ててその変化の芽をつかむのが僕らの仕事なんだよね。
なので一番早く芽をつかんで対応できる場所がD-SCHOOLなんだよね。
D-SCHOOLってのは生涯学び続けるための力をつけるための学びの場なんだよね。
3.現状、事業を運営していて困っていることを教えてください。
藤澤:いっぱいあるねー笑
困っていることというと、D-SCHOOLの存在をあまり知られていないことだよね。
まだ1年経っていないから。
D-SCHOOLって何?子供から大人まで朝から深夜まで学べるデジタルスクールですって答えてるんだけど、
デジタルスクールっていうとテクノロジースクールとかって印象受けちゃうからややこしいんだけど。実際国語も算数も教えてるしね。
デジタルの力を活用した新しいこれからの学習塾って言ってもあんまりイメージつかないじゃない笑
それをうまく伝えられない苦しさが結構ある。
金本:D-SCHOOLの本質というか。そういったところですよね。
藤澤:だからね、今ファンをね。地道に増やすように
見学体験会とかいつでも受けておりますので。
金本:すごく興味あります。
ネットで調べただけだと伝わりきらない空気感だったりとかがあるので、見てみたいです。
藤澤:なので、直近で困っていることというと、知名度を伸ばしたいっていうところだよね。
4.今後の展望、今後やっていきたいことを教えてください。
藤澤:D-SCHOOL指導員を増やしたいんだ。
うちのスクール指導員講習を受けてもらえれば、自宅でもD-SCHOOLの看板掲げて地域の子ども達を教えることができるので。
来年から始めようと思っているので。
ぜひ皆さんにD-SCHOOL指導員になってください。
副業とかにぴったりなので。
今はそういう展望がある。
道内で指導員を増やして一人でも多くの子ども達に可能性を提供できるスクールにしたいないと思ってるので、指導員大募集です。
金本:やっぱり子どもに教えることで自分が得られることっていうのも多いですよね。
藤澤:イエス!
大人が変わらなければ子どもも変わらないのよ。
子どもがプログラムとか、こんなのできたよー!って言っても大人がそれを褒めてあげないと子どもも面白くないじゃん。
そういう大人を増やしていきたい。
金本:ちなみに、何か必要な資格とかスキルってあるんですか?
藤澤:やる気だけあれば大丈夫。
学歴も何も関係ないし。
強いて言えば子どもの成長を一番に考えられる人。
であれば文系理系関係ないし。国籍も関係ないし。
金本:多くの人が当てはまりますね。
僕も指導員の方、興味ありますね。
すごく勉強になりました。
ありがとうございました。
インタビューを振り返って
第2回はD-SCHOOLの藤澤さんにお話を聞かせていただきましたが、
私自身大変勉強になることが多く、生き方や考え方も素敵な方でした。
特に、時代が変化していく中で、自分も常に変わっていかないといけないという考え方が印象的でしたし、真似していけたらと思いました。
現在の教育の問題点や、その改善の糸口に触れられるいい機会でした。
藤澤義博YOSHIHIRO FUJISAWA
D-SCHOOL代表
公立はこだて未来大学大学院 システム情報科学研究科 博士(後期)課程在学中。札幌学院大学大学院 地域社会マネジメント研究科 修了(修士)・日本語教師。高校卒業後、米国へ留学。帰国後、航空会社へ入社。約25年間勤務した後、2010年、会社員として勤務する傍ら地域政策を研究するために大学院へ入学し、修士号を取得。その後、外国人の人材育成の必要性を感じ、働きながら専門学校に通い日本語教師の資格を取得。現在、子どもから大人まで全ての世代が学び続け、 一人ひとりが持つ無限の可能性を引き出し伸ばし、全ての人がいきいきと活躍する社会の実現を目指し、奮闘中!「アップデート、自分」をモットーに常に挑戦し、学び続けている。